『下流社会』


ちょっと前の『国家の品格』同様“5年オチくらいの新書ベストセラーを読もう”計画の1冊。
この手の本はやっぱり5年オチくらいのほうが、気構えずによめますな…。


ヒトコトで言うと…


ひたすら痛い本です


三浦め!このやろッ!!となんど思ったことか!!!!


著者が熱意…というよりは、もうむしろ怨念を込めて書いているのが
ページをめくるごとに際立ってきて、もう、どうして良いのやらッ


巻末に「データの少ないから仮説ばっかです」と書いてあるので
そこまでたどり着くと、「え?ああ、そうだったの?」と少し安心できますが
本文中のざっくり感は遠慮もなしでグッサリときます。

  極端に言えば、こんな時代に結婚するのは、将来に希望のある人と、
  希望も計画もなく「できちゃった婚」をしてしまう人のどちらか(P103)


…とか、もうやめてくれ!と言いたくなるバッサリ切り。
マーケティング畑の著者らしく、上・中・下流で分類するだけじゃなく
そこから女性、男性をそれぞれ型に分けて分類してゆくわけですが
※分類しないとマーケティングの調査にならんしね


たとえば女性を見てみると


“お嫁系”“ミリオネーゼ系”“かまやつ女系”“ギャル系”…その他的に“普通のOL系*1


……。


ミリオネーゼという言葉を遅まきながらはじめて知りました。
そして“かまやつ女”ってなんだよ!?と思ったら作者の造語でした、といった具合。


統計データを使っている割には、著者が恣意的分類を作っている印象。
男性もだいたいそんな具合でした。


ただ、恐ろしいのはその分類じゃなく
それぞれに分類された女性のインタビュー記事。


お嫁系女性は「頭がよくて将来性のある東大生なら結婚してもいい」
ミリオネーゼ系は「ハワイで子供をサマースクールに預けて夫婦でゴルフしたい」
かまやつ女系は「お金はふつうに暮らしてゆけるくらいで…」
ギャル系は「子供の教育とかはあまり考えない」


おそらく著者の考える上流が上記の上2つ“お嫁系”と“ミリオネーゼ系”
下流が下2つ“かまやつ女系”と“ギャル系”ということなんだろうけど、



どいつもこいつも自分勝手すぎだ!


インタビューの切り取り方自体悪意を感じます。
著者は女性が嫌いなのか!?と思うほどのいじわるさ。


ただ、ではタイトルがキャッチーなだけの本か、といわれると
一概にそうとはいえない面もあるかなあ、というのが困ったところ。


世代の中でさらにカテゴリーがあって
各自カテゴリーの中で生活が完結してしまっている。
他のカテゴリーとの交流がない。


したがって、世代内で所得などの格差が広がってもそれにすら気がつかない
というのはちょっと、身近にも感じることはあります。


こういうカテゴリーごとの小社会化が問題提起されてるのは
侮れないところです。


でも、土地ごとに階層が定着しつつあるというのはさすがに強引で
「所沢には西武もパルコもある、したがって池袋には行かない」ってあるけど
西武は所沢、パルコは新所沢で駅がそもそも違っているし、池袋ぐらいいくよ(笑)

 
最後に1つ気になったところは


   三多摩出身者で「下」が多いが、理由はわからない(P246)


…とあるけれど、それは単純に三多摩に工業団地が多くて
かつてブルーカラー労働層が社宅に定住していたからでしょう。*2
マーケティング屋は消費動向までは調べてもそういうことは調べないのだろうか?
※ゼンリンの住宅地図を眺めるだけでわかるはずだけれど…


ここら辺の浅さにマーケティング業界の限界がある気もします。
下北沢なんていいから、狭山市青梅市あたりの住宅地を歩くほうが
郊外の感覚を理解できるのでは?


結局、珍しく批判ばかり書いてしまいましたが
なんとなく著者の言いたいことはわかったし
それを全面的に“違う!”ということはできないなあ、といったところでした。


そのうちまた三浦氏の著作を


三浦め!このやろッ!


…とかいいつつ読んでいるかもしれません(笑)

*1:現在OL自体が絶滅危惧種です!“普通”ではないよね

*2:ただし現在は社宅はほぼすべて戸建てにして売却されているから、住人は入れ替わっているはず