『ゲド戦記Ⅲ〜さいはての島へ〜』

さいはての島へ―ゲド戦記 3

さいはての島へ―ゲド戦記 3

映画化を良い機会にちょこちょこ再読をすすめること4ヶ月…


やっとこ三部作の最終巻でございますッ!


再読だけあっていろいろ気が付いたり、身につまされたりしたので
いくつかに区切って記事にさせていただきます。

ジブリ映画との対比(Web予告編と3巻)

市にはもはや核となるべきものはなくなっていた。


人々はせわしなく動きまわっているのもかかわらず
目的を失ってしまっているように見えた。
                         P88


ジブリ映画のモノローグにもある一文ですがちゃんと原作準拠だったのかッ!
最初にジブリのモノ聞いたときは気づきませんでした(笑)


さて、ジブリ映画も3巻4巻ベースということで、ちらほらと予告編で見た光景も…。


予告編映像は、TV放映を見逃してばかりだったのでWedで見ました。


ちらほら散見する感想の中で…


ジブリ映画的極彩色の表現が気になる〟


…というのがありましたが。


これは、原作のホート・タウンのある種の荒廃ぶりを表現しているかからかなと…。


テルーのシーンなどを見ると、わりと落ち着いたトーンで表現されてるので
そのあたりは心配要らないかも。


逆にホート・タウンの〝ある意味、華やかであるものの破綻している〟荒廃ぶり
には似つかわしい演出かと思います。*1


シリーズ全編とうして、アースシー世界は1巻の〝影〟のイメージや
2巻の〝墓所〟の名も無き者の闇の影響で暗いトーンに思いがちですが


3巻は南海域が出てきたり、竜が出てきたり色味の強い物語なので
再読して、だいぶん違和感が薄れました。


テーマの〝まっとうに生きる〟というのも
ちゃんと3巻に盛り込まれているので、そのあたりも一安心。


そのテーマをどうやって映像にに昇華するのかは、
公開されたものを見ないとわからないですが…。


ともあれ原作ファンだったら、映画の前に3巻の再読をオススメしたいです。


…とかいいつつ、ハヤシは4巻未読*2という(笑)


人にえらそうなこと言えませぬな…すみませぬ、すみませぬ……orz

他作品との関連


…というか先週の『ハムレット』でもやった引っかかりどころコーナーですぞ。


ハヤシ的にはル=グウィンの最大の特徴は、


〝物事の変容、変化に伴う喪失を受け入れる姿勢…寛容を表現しているところ〟

…とぞ勝手にに思っています。


どんなに華々しい話でも、根底に喪失があったり
新しい変化を描いても、最後に残るのが失われたものだったりするのではと。


『闇の左手』では、主人公は当初の目的は果たすものの
どちらかというとそのために払った犠牲に焦点が当たっている気がするし


『言の葉の樹』も急激な変化の中で既に失われるるある古き善きものに
重きがおかれております。


もともと、自分が人生にドン凹みしているときに『闇の左手』で
ル=グウィンを知って、救われたからというのが大きいですが
彼女ほど〝喪失や変化に対する寛容〟を描ける作家を他に知りませぬ。*3


そういう意味で…


〝死を受け入れ、それによって生を獲得する〟


…というこの物語はアースシー三部作の真髄であるだけでなく
ル=グウィン作品の真髄の一つでもあるなあとぞ思いました。


あ、そうでなくてもフツーに


踊りというのはいつもがらんどうの穴の上で、
底知れぬ恐ろしい割れ目の上で踊られるものさ   P198


というところで、そういやエッセイ集のタイトルが
『世界の果てでダンス』だったなあ、とか
踊りといえば『オールウェイズ・カミング・ホーム』だぜ!とぞ思ってました。


それともういっちょ、


〝生と死の両界の扉〟とか〝代価〟


…といったフレーズが出てくるので無性に『鋼の錬金術師』を思い出しましたぞ!

次回予告


明日は週一の〝毎日エルガイム劇場〟で。
リュー各話の最終回は最速で火曜日お届けでございます。


ではでは本日はこの辺で…


読書感想記事でも一個項目があったのですが
自分でも辛口だなあとぞおもうので、蛇足枠で下げておきます。


あとでてなおしするかも……


……以下蛇足です(珍しく辛口全開です。お嫌な方はスルーで)












世界の荒廃


3巻では最初は世界の中央の一つロークに辺境から凶報が次々舞い込んできて
大賢人になったゲドと、もう一人の主人公アレンがその原因を取り除く
という筋立てです。


そこにはある種、〝地方の荒廃〟が描かれております


初読時はハヤシはまだ学生で、郊外とはいえある意味〝中心〟で暮らしていたので
この荒廃がよくイメージできなかったのですが、


今、ある程度大人になって辺境とは言わずとも〝地方〟に住む身になって
かなり身につまされました。


正直、再読してこれが一番こわかったし、得るものといえば得るものでした。


物質的な面の不足もそうなんだけど、ともかく人心の荒廃がとにかく恐ろしいです。
とてもリアルだった…。


一見、忙しそうに見えていながらその実、目的が無いというのもそうだし、
地に足を付いた生活を送っているつもりで、それが実は上っ面だけのものだったり
というのをこちらにに移り住んできてから、ちらほら目にしました。


最近、運動不足を解消すべく散歩をしているのですが、
実ったのにそのまま朽ちるに任せる果樹や
収穫期を大幅に過ぎて結局、破砕されて打ち捨てられている畑をかなり目にします。


農家の方的にはいろいろ事情があるのかも知れないけど、こういう
やっつけ仕事的な部分を見るのはやっぱりあまり後味がよくなかったり…。


今日は銀行のATMを使ったのですが、なぜかコイン返却口にゴミが溜まっており
(〝ゴミ箱は後ろにあります〟と注意書きがあるのに…)
床もいらない明細が捨てられていて、あまりにも酷かったので
相方と二人で掃除してきました…。


こういったモラルの低さも、かなり深刻ですがあまり感心をもたれていないようです。


また映画の話に戻っちゃいますが、そういう意味では


〝まっとうに生きる〟


…というのはまさしく現代的なテーマだなと実感させられます。


物語は読めば完結するし、映画は見終わればエンドロールがありますが
生身の人間が生きていくうえではその〝まっとうに生きる〟ことこそが
最大の試練で難関だとぞ、思います。


ましてや私たちの人生には「Fin」のサインもエンドロールも無いわけですから。

*1:ゲームだけど、ミンサガの南エスタミルに近いイメージ

*2:老後の楽しみにしようと思ってたので…

*3:そういう境界を超越するタイプの作家は幾人かおりますな